【10代の悩み】自分が生きている意味は何? 仏教が説く「これからの生き方」

仏教はとても厳しい教え

仏教は、仏陀(ブッダ)と呼ばれる方が作りました。
この仏陀とは、名前ではなく、呼び名であり、本名は、『ゴータマ・シッダールタ』さんであったとされています。

仏教の教えはとても厳しく、極論とも言うべき教えが多く残されています。
そのひとつとして、【愛別離苦】(あいべつりく)という教えがあります。

これは、妻や夫、子供、親、兄弟などの家族や恋人の愛する人やものと離別する苦しみと辛さを説いた言葉です。
その苦しみから遠ざけるために、ゴータマ・シッダールタさんは、悟りを開いた後からは家族を持ちませんでした。

しかし、産まれた時からその境地にあったのではなく、その悟りを開いたのは、実は、ゴータマ・シッダールタさんが35歳の時でした。

本日はその悟りを開くまでの経緯を知り、ご自身の今の状況から今後の行動の糸口を見つけてみてください。

仏陀の悟りを開くまでの葛藤

ゴータマ・シッダールタさんは多くに気づき、そこで多くを悩んだからこそ、悟りを開くことができました。
その悟りを開くまでには壮絶な修行と人の愛に触れた経緯があります。

  1. 四門出游
  2. 王家に産まれたゴータマ・シッダールタさんは、王城で過ごしていました。
    その王城には、東西南北に4つの門があり、郊外へ続く道がありました。

    ある時、当時まだ太子であった頃、ゴータマ・シッダールタさんは東の門から郊外に出掛けました。
    すると、その道には、見るに堪えないよぼよぼの人がいました。

    ゴータマ・シッダールタさんは、使いに、「あれは何者か」と聞きます。
    使いは、「あちらは老人でございます」と答えました。

    それを知ったゴータマ・シッダールタさんは、塞ぎ込まれて、王城へと帰りました。
    後日、東の門を避けて、南の門から郊外へ出ると、今度は、道に倒れている人がいました。

    ゴータマ・シッダールタさんは、使いに、「あれは何者か」と聞きます。
    使いは、「あちらは病人でございます」と答えました。

    それを知ったゴータマ・シッダールタさんは、塞ぎ込まれて、王城へ戻りました。
    後日、東の門と南の門を避けて、西の門から郊外へ出ると、今度は、白い布で巻かれたものを何人もの人が担いでいる光景を目にしました。

    ゴータマ・シッダールタさんは、使いに、「あれは何者か」と聞きます。
    使いは、「あちらは死人でございます」と答えました。

    それを知ったゴータマ・シッダールタさんは、塞ぎ込まれて、王城へ戻りました。

    この時、ゴータマ・シッダールタさんは、生老病死を知り、生きるとは何だという疑問に悩まされました。
    現代でも10代の方の多くは、自分の存在意義に悩まれているかと思います。

    仏陀となったゴータマ・シッダールタさんも同じように悩まれていたのです。

    そして、北の門から郊外へ出ると、そこには、修行者がいました。
    その修行者の姿に感銘を受けたゴータマ・シッダールタさんはこの時出家を決意します。

    26歳の時でした。

  3. 苦行林
  4. ゴータマ・シッダールタさんは、修行をするべく、苦行林に入りました。
    苦行林には、他にも修行者がいましたが、ゴータマ・シッダールタさんは、その中でも群を抜いて、壮絶な修行をなさったと言われています。

    断食や土の中に体を埋めて何日も居たり、木に宙づりになったりと、約6年間続けたそうです。
    しかし、それでも、悟りは開けませんでした。

    「自分の体を痛めつけることで、心が強くなり、死への恐怖や、人生の悩みが解決するのではないか」と、修行は、さらに厳しくなっていきましたが、それでも、心は満たされませんでした。

    その中、ある時、農民の歌が聞こえたそうです。
    「琵琶(びわ)の弦(げん)、強くしめれば糸が切れ、ゆるけりゃ音が悪くなる」

    この歌を聴いて、仏陀は、苦行は間違いであるとわかったのです。

    この歌の意味は、「楽器の糸だって、いい音を出そうとすれば、強すぎず、弱すきず、ちょうどよい具合にしめなければならない。人の生き方も同じではないか。他人に流されず、かといって自分勝手にもならない。そんな生き方こそ、私の求めるものだ」

    そうして、ゴータマ・シッダールタさんは、仏陀は苦行林から出ていきました。
    苦行林で修行していた他の人たちは、ゴータマ・シッダールタさんを「あいつは苦行が辛くなって逃げた、堕落した。中途半端ではいけない」と罵りました。

    生死ぎりぎりの心体だったゴータマ・シッダールタさんは、川岸で倒れました。
    小さな小屋で気が付き、目を覚ますと、そこには、村の娘スジャータという人が傷だらけのゴータマ・シッダールタさんを看病し、ミルク粥をいただきました。

    その手厚い看病のもと体力を回復し、ゴータマ・シッダールタさんはある木の前で座禅し、「自分の進むべき道を見つけるまで、この場所を立つまい」と決めました。

  5. 仏陀
  6. 座禅をしている間、まずは、若い女性が3人寄ってきて、惑わそうとするも動じず、続いて、今でいう、不良に絡まれて、石や武器を投げられても動じず、最後には今でいうフィクサー、依頼を受ければ殺人もいとわないような人が武器を振りかざすも動じず、そして、35歳の12月8日に悟りを開きました。

仏陀の経緯から学ぶこと

お話の中で一番注目したいのは、苦行林で悟りを開いていないということです。
現代でもそうですが、残業を沢山したら、お金が入って幸せになると言いますが、お金が入っても、そのお金を使う時間がなければ何の意味もありませんし、無理をして病になったら更に人生は苦しいものとなります。

未だに就職しない者を悪だとする認識のある社会ですが、こちらも間違っていて、就職が苦痛ならば、自ら進んで苦痛を感じる場所に行く必要はないですし、その苦痛は遠ざけるべきなのです。

そして、ゴータマ・シッダールタさんが悟りを開いた時のように、何か将来の目標が見つかって、「これしたいな」と思うものが見つかったら、それを自らのものにするまで、周囲の人々の意見や欲に惑わされずに、目標が実現するまで努力し続けることが必要であると、経緯からわかります。

時に、人々は自らの人生とは違う生き方をする人を罵り、恐怖を与えてきますが、これにも惑わされずに進んだ先に将来があるのです。
これを「さとり、さとり」と書いて、覚悟と言います。

余談

さて、琵琶の弦を歌った農民は誰であろうか。
どうして、苦行林の近くでこの歌を歌ったのでありましょう。

そして、スジャータという村の娘とは誰だったのでしょうか。
当時、ミルクはとても高価なもので、修行者が口にすることは修行者失格というものでした。

それを知っていて、ゴータマ・シッダールタさんに渡したのでしょうか。
それともご存じなかったのでしょうか。

どちらにしても、ゴータマ・シッダールタさんは、その戒律よりも人の愛を選択しました。
この愛とは、慈しみや優しさです。